金森穣の新作『ラ・バヤデール』は傑出した作品である。平田オリザに脚本を依頼し、SPACの俳優3名を加えて舞台化しようとしたその方針そのものが傑出していたといっていい。金森とNoismには、舞踊家としてそれだけの自信があったということなのだろうが、結果は予想をはるかに上回るものになった。振付の水準もダンサーの水準もこれまでのそれを大きく超えている。異常な成長である。
特筆すべき点は二つ。それがそのまま最大の見どころになっているのだが、ひとつは、この「劇的舞踊」が、1960年代に登場し、日本と世界の舞台芸術に大きな影響を与えたいわゆる小劇場運動と、80年代以降、コンテンポラリー・ダンスの呼称のもとに展開してきた舞踊運動との、いわば完璧な結合以外の何ものでもないということである。小劇場運動は60年代から70年代を通じて、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志といういわゆる御三家によって担われたが―その最大の特徴は歌と踊りと劇の結合である―、長く伏流水となっていたそのエネルギーがコンテンポラリー・ダンスの現場において突如噴出したのだ。金森にしてみれば突如などではないだろうが、小劇場運動とコンテンポラリー・ダンスの結合ということでは、前作『カルメン』を上回っている。
いまひとつは、世界舞踊史に確固たる位置を占める『ラ・バヤデール』というバレエの上演史において、この金森の作品は画期をなすということ。『ラ・バヤデール』はいわば最初のロシア・バレエなのだ。ロシア・バレエの生みの親はマリウス・プティパだが、ロシアに渡ったこのフランス人振付家の最初の成功作は『ファラオの娘』(1862)、次が『ドン・キホーテ』(1869)で、この作品から作曲家ミンクスと組むようになったのだが、息が合ったのはそれに続く『ラ・バヤデール』(1877)であって、プティパはここではじめて本格的なロシア・バレエ風バレエ・ブラン―白いチュチュをまとった女性ダンサーの群舞―を創作したのである。これがなければ、チャイコフスキーの音楽による三大バレエ『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』も成立しえなかっただろう。
したがって、金森版『ラ・バヤデール』を本格的に楽しむためには、バレエ『ラ・バヤデール』のDVDをじっくり見てからにしたほうがいい(マカロワ版が簡単に手に入る)。『ラ・バヤデール』が画期的だったのは、フランスのロマンティック・バレエの精髄『ラ・シルフィード』と『ジゼル』の、その最大の売り物になったバレエ・ブランを、じつに鮮やかに、しかも、その場面なしにはバレエが成り立たないほどの核心部分に取り入れてみせたからである。バレエ・ブランが重要なのはそれがあの世のメタファーだからだが、すぐれた舞踊は必ず―能がその典型だが―あの世とこの世の往還を含まずにはいない。金森の作品では騎兵隊長バートルが、政略結婚のために恋人ミランを見殺しにしてしまった絶望をアヘン吸引で紛らわそうとする場面が、バレエ・ブランの位置にある。原作バレエでももちろん同じ設定で、勇士ソロルが舞姫ニキヤの亡霊と踊る場面「幻影の場」がそれであり、まさに天上的な女性群舞とともにロシア・バレエの典型として有名だが―それがそのまま『白鳥の湖』の白鳥の群舞になった―、金森はここで、原作では横に広がる群舞を縦に、つまり奥から手前へ進むように配置し、脚の美しさを強調するアラベスクを、手を冥界の鳥のように広げるモダンダンス風の仕草に変えている。
この振付もいいが、腰を落として素足で踊りながらバレエの伸びやかさを失わないというその、ほぼ確立されたように見える金森のダンス・メソッドは、終始一貫していて注目すべき美点になっている。とくに、婚約式のディヴェルティスマンのひとつ「壺の踊り」(四人の踊り)は傑作で、これだけを取りだしてコンサート・ピースにしても十分に通用する。ダンサーもみな金森の要求によく応えて国際的な水準を抜いている。
だが構成において成功した第一の要因はやはり『ラ・バヤデール』を満州建国と第二次大戦によるその崩壊に重ね合わせてみせた平田の着想にあるだろう。冒頭の場面で、役者の発声に接した瞬間、鈴木メソッドを思い出したが、しかし語りの内容は、旧帝国陸軍をしばしば素材にした寺山や唐の流儀を思い起こさせずにはおかなかった。劇の語り手はムラカミと名づけられているが、むろん村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』によるものだろう。つまり、村上春樹も小劇場運動と無縁ではなかったということだ。ここでは政治に対する向き合い方も潜在的な主題になっているのである。
満州建国の理念「五族協和」のその五族は和・韓・満・蒙・漢である。その理念を背景に展開される金森版『ラ・バヤデール』は、私にはじつに時宜を得ていると思われる。装置も衣装も照明も良かった。上演のつど、手を入れられ、さらに濃密かつシンプルなものになってゆくだろう。
何よりも、見て美しい作品に仕上がっているのが素晴らしい。
【筆者プロフィール】
三浦雅士 MIURA Masashi
1946年生。文芸評論家。1970年代『ユリイカ』『現代思想』編集長、80年代に執筆に転じ、90年代、2000年代に『ダンスマガジン』編集長を務める。主著に『身体の零度』、『青春の終焉』、『バレエ入門』など。